午前中、杉並区立中央図書館へ。
ふと目に留まった「宮沢賢治」の伝記。
手に取って、つい読み進めてしまう。
小さな円形ソファの後ろではお母さんが子どもをだっこして絵本の読み聞かせ、
隣では子どもが「よも!」を連呼している。
次の予定まで2時間余裕を見ていたのに、気づけば30分経ってしまっている。
急いで探している本たちを司書さんに相談。
色々探したり持ってきてくれた中から選んでお借りする。
私はよく、「こんな感じの本を探していて・・・」と図書館で相談する。
検索画面はあまり使わない。
本屋さんでも同じ。
思いもかけない本を教えてくれたりして、けっこう為になる。
人とも触れ合えるし。
話していると広がるし。
図書館とか本屋さんって本当にありがたい。
図書館にいると、税金を気持ちよく払いたい気持ちになります。
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないまでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森のなかで、
ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものややきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりでとおりががったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのです。
本当にもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたしはそのとおり書いたまでです。」
(宮沢賢治:『注文の多い料理店』「序」より)
伝記を読んでみると、知らなかったことがたくさん。
実家は質屋と古着商をいとなみ、
花巻地方では1、2を争うお金持ちのおぼっちゃんだったこと。
傾倒した法華経のことや、
童話を書くことになった経緯。イーハトーヴの意味。
次は、賢治の本を世に出してくれた弟の著書、「兄のトランク」(宮沢清六 著)を読みたい。
「きれいにすきとおった風をたべる」ことのできる地球でありたいと願う。
そして、体の中にすきとおった風が通るといい。
ひとは(自分は)どこから変わっていくことができるのだろう。
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